おかげさまで、いろいろな方に
セッションを受けてもらえるようになり
その中で、ふと何かに気づくことも
多くなってきました。
身体教育法としてのボディワークを
考えたとき、感じるのは、
その「双方向性」
例えば、クライエントの方が
運動などから、身体について良い認識を
お持ちであったり、 身体についての知識を
お持ちだったりすると、一気にセッションが
深いものとなったり、ワクワクするような
発展が訪れたりすることを経験します。
逆に、「一方向」だと、どことなく流れが
滞っているような雰囲気を感じたりします。
お互いに尊重し合う中で、発展するような
セッションができたとき、学びも多いように
感じるのです。
学びの援助者としての役割を担えるよう
学び続けたいと思います。
Just for Latitudinous
セッションを受けてもらえるようになり
その中で、ふと何かに気づくことも
多くなってきました。
身体教育法としてのボディワークを
考えたとき、感じるのは、
その「双方向性」
例えば、クライエントの方が
運動などから、身体について良い認識を
お持ちであったり、 身体についての知識を
お持ちだったりすると、一気にセッションが
深いものとなったり、ワクワクするような
発展が訪れたりすることを経験します。
逆に、「一方向」だと、どことなく流れが
滞っているような雰囲気を感じたりします。
お互いに尊重し合う中で、発展するような
セッションができたとき、学びも多いように
感じるのです。
学びの援助者としての役割を担えるよう
学び続けたいと思います。
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